ドイツ語担当教員の紹介
教養教育院のドイツ語授業は、専任・非常勤合わせて20名以上の教員が担当してます。このページでは、10名の専任教員を紹介します。
藤井たぎる(人文学研究科 ドイツ語ドイツ文学専攻)
○自分の研究分野について: 最近あれこれ頭をひねっているのは、西洋音楽の構造と資本主義の仕組みの相同性についてです。調的和声というコード進行に基づく音楽のつくりは、まるでマルクスの価値形態論のようですし、シェーンベルクやベルクの12 音技法に至っては、“価値の増殖”を音符で表象しているかのようです。西洋音楽史は資本主義の発展と不可分であるということなのでしょう。
○自分とドイツ語の関わりについて: 高校生のとき、まるでハードロック並みの爆音で、ステレオでドイツ・ロマン派の巨匠ワーグナーのオペラを聞きまくっていたのですが、それが思 えばドイツ語との最初の出会いでした。いまだにドイツ語と関わっているのは、ワーグナーの毒がそれほどに強かったということなのかもしれませ ん。
○ドイツ語やドイツ語圏の国々について:おすすめする点やとっておきのスポットをひとつだけ。 ウィーン国立歌劇場最上階のガンツ・ザイテ(Ganzseite)と呼ばれるチョー端っこの席。ほぼ1000円で座れる席です。舞台がすべて見渡せるわけではないですが、その代わりオーケストラ・ピットの中はよく見えるし、オーケストラ の音も歌手の声もよく通るので、大好きな場所です。 地元のオペラおたくがよく座っている場所なので、彼らの反応(ブラボーやブーイング)を見ているだけも楽しくなります。
西川智之(人文学研究科 ドイツ語ドイツ文学専攻)
今の若い人達を見ていると、しっかりした目的意識を持って大学に入ってくる人が多いので感心します。私の出身大学は、医学系などは例外でしたが、当時は入学試験は文系・理系という区別しかなく、2年生の夏休み頃、進学先として希望する専攻を決めるという制度でした。私は将来の職業なども全く考えず、「文学や思想・哲学と関係のあることを勉強したいな~」くらいの漠然とした気持ちで、ドイツ文学専攻を選びました。英語は得意ではありませんでしたし、ドイツ語もそれほど一生懸命勉強していたわけでもありません。そんな人間が、大学でドイツ語を教えているわけですから、人生不思議なものです。ドイツ語というと何となく硬くて、あまりおしゃれなイメージがないかもしれませんが、今思うと、私のような不器用な人間とは相性がよかったのかもしれません。 外国語を学ぶことは、外国の文化や社会を知るだけでなく、自分の国の文化・社会を見直すきっかけにもなります。感受性の強い若い人達には、外国語学習を通じていろいろな経験をしてもらいたいと思います。
ウィーンのユニークな信号 緑と赤のアンペルマン アンペルマンショップ
イースターのショウウィンドー
切符は自分で改札を!ドアは自分で開けましょう! ベルリンの2階建て路線バス
古田香織(人文学研究科 ジェンダー学専攻)
一つの単語がくっついたり離れたり、いろんな形に姿を変えたり…。知れば知るほど興味深いドイツ語に学部時代は毎日夢中でした。大学4年生のときにドイツに留学し、ますますドイツ語の魅力に取り付かれ、同時に、ドイツ語圏の文化にも魅了されて行きました。ヨーロッパの中にあって、周囲の様々な言語や文化の影響を受けながらも自分自身の居場所をしっかり確保しているドイツ、オーストリア、スイスのドイツ語圏の国々、そこにはドイツ語の響きとともに奏でられる色々なハーモニーがあります。それぞれの地域で使用されるドイツ語のバリエーションの面白いハーモニー。いたるところにちりばめられた音楽をはじめとする芸術の香りの素晴らしいハーモニー。それぞれの歴史を代表する様々な建築物の絶妙なハーモニー。古き伝統と新しい息吹とが見事に表現されている陶磁器の美しいハーモニー。何種類ものハムやソーセージ、ビールにワイン、私たちの食欲に十分答えてくれるハーモニー。みなさんも、ドイツ語の学習を通して、色々なハーモニーを楽しんでみてください。
山口庸子(人文学研究科 ドイツ語ドイツ文学専攻)
もともと詩が好きでしたが、大学1年生のとき、ホロコーストを生きのびたパウル・ツェランの詩を読んでショックを受け、ドイツ文学を専攻することに決めました。その後、ベルリン自由大学に留学したとき、モダニズムの文学作品に出てくる舞踊イメージに興味を持ち、時代背景を調べているうちに、社会のなかで舞踊や身体文化が果たす役割について考えはじめ、現在に至っています。2006年に出版した『踊る身体の詩学』(名古屋大学出版会)は、ドイツ語圏の舞踊と文学の相互的関係についての研究をまとめたものです。最近は、舞踊だけでなく、体操などの身体文化や、人形劇も研究の対象にしています。カラー写真は、イタリア語圏スイスのアスコーナという町です。マッジョーレ湖のほとりにある、風光明媚な土地で、丘の上に、かつてはドイツ語圏から来た芸術家や神秘主義者の集うコロニーがあって、モダンダンスの聖地でした。ちょっと不思議な雰囲気のところです。
中村登志哉(情報学研究科 社会情報学専攻)
私の専門は国際政治学で、ドイツの現代政治と外交・安全保障政策は主要研究テーマの一つです。このため、私は日頃この専門分野に関するドイツ語に接しています。欧州連合(EU)の主要国であるドイツの政治を理解したい、ドイツ語のニュースが読めるようになりたい、と考える学生諸君がいたら、私が担当する「中級ドイツ語」ではドイツ語ニュースに触れる機会を多く設けています。ドイツ国際放送(Deutsche Welle)による、ドイツ語学習者のためにやさしくリライトされたニュースを通じてドイツ政治への理解を深めましょう。また、ドイツに行く機会があったら、是非ベルリンにあるドイツ連邦議会(国会議事堂)を訪れて見てください。さまざまなドイツ近現代史の転換点となった場所であり、現在の政治の中心となっている場所です。前もってオンラインで予約すれば、館内ツアーに参加することができます。
Markus RUDE(教養教育院 アカデミック・ライティング教育部門)
私はカールスルーエ大学とライス大学で電気工学を学び、カールスルーエ大学で情報学の博士号を取得しました。1995年から日本の筑波大学でロボット科学の研究を続けると同時に専門英語を教え、言語教育に興味を抱くようになりました。それ以来プロソディック・ライティングを開発し続けています。それは直感的な方法で話し言葉のイントネーションを可視化する手法です。音声学、特に韻律学は私の今日の中心的な研究分野です。これらの方法で私はこれまで独協大学と筑波大学で、そして2011年よりここ名古屋大学でドイツ語を教えています。私は大学院生の為のアカデミック・ライティングの授業に携わり、また留学生センターでドイツ語ランチを開催しています。景観が美しい場所としてヨーロッパのアルプスとミュンヘンの街をおすすめします。ミュンヘンの街はどこか名古屋と似ています。両都市にはともに大きな車メーカーがあり、また両都市はアルプスに近いです。
Marcus CONRAD(人文学研究科 ドイツ語ドイツ文学専攻)
私はMarcus Conradです。ドイツザクセン州にあるエルツ山脈の近くの町、ケムニッツで生まれました。学生時代はケムニッツ、フランスのトゥールース、ハレでドイツ文学と哲学を勉強しました。専門分野はドイツ文学で、特に17世紀から20世紀にかけての近世以降のドイツ文学です。ヨーロッパ文化史における、18世紀の啓蒙主義時代のドイツ文学に重点を置き、文学とその他の学問、そして、社会との関係性を研究しています。
残念ながら、私はまだ日本語が上手ではありません。しかし、これからも勉強を続けていくつもりです。日本語は、ドイツ語とは全く異なった言語システムを持ち、習得は容易ではありません。特に難しいのは、大人になってからの漢字学習だと思います。一方で、日本人がドイツ語を学習する時に一番難しいと感じることは、おそらく名詞や動詞の語形変化でしょう。私は授業をドイツ語で行います。そして、時々英語を使って説明します。理論的な言語構造を学びながら、外国語学習者にとって最も重要な言語運用能力を高めていけるように授業をしていきたいと思っています。
北村陽子 (人文学研究科 西洋史学専攻)
わたしの研究の専門分野は歴史学、とくにドイツの近現代史です。なかでも二つの世界大戦期における戦時下の人びとの生活に関心があります。戦争記念碑や戦争墓といったモニュメントの象徴的意味を考察することにも関心があり、戦場めぐりは趣味と実益を兼ねたフィールドワークです。
先に取り組み始めたのは第一次世界大戦中から戦後の時期についてで、もともと女性によるソーシャルワークの形成過程を分析したいと思っていたことから、世界大戦という大量の要救護者が生じる事象に着目するに至りました。もっとも目立つ要救護者が、戦争障害者Kriegsbeschädigteです。英語だとdisabled veterans、日本語だと傷痍軍人が一番近い概念ですが、それぞれ内包する意味が異なります。ドイツ語の戦争障害者は、「戦争で傷ついたもの」という意味で、これは軍人・軍属のほか、非戦闘員である看護関係者も対象となります。それは必然的に「看護婦」たる女性も含みますから、傷痍「軍人」とは言えません。ここで「戦争障害者」とあえて漢字を用いた訳語にした理由は、次の通りです。たしかに彼らの社会復帰は望まれ、そのための保障システムも考案されましたが、第一次世界大戦は兵器の殺傷力が増したことによって兵士の傷病の度合いも深刻になったため、実際に再就職ができた人はごくわずかでした。これら戦争障害者は、戦後のヴァイマル共和国期には150万人以上を数えて、社会全体にとっていわば「お荷物」の状態でした。そして彼らは、「戦争のために自分を犠牲にした」と声高に主張し、自己の利益を強く求めたため、ときに社会にとっての「害悪」と見なされたのです。同時代にそのことばがもった意味を含めて、Kriegsbeschädigteの訳語には「戦争障害者」が適切だと考えます。
歴史学では、分析対象となる時代に書き残された文書を「史料」と言いますが、この史料を正確に読み解くためには言語の文法的な知識とともに、その時代においてそのことばがもった意味もあわせて理解することが必要となります。言語に対して鋭い感覚を養ってほしいと思います。
中村 靖子(人文学研究科 ドイツ語ドイツ文学専攻)
安川 晴基(人文学研究科 ドイツ語ドイツ文学専攻)